ここのところ頼りにしている問題解決法が「ホ・オポノポノ」。
問題の原因となる潜在意識にある記憶を手放す「クリーニング」を続けます。
さまざまな痛みへのクリーニング・ツールとして「イチョウの葉」が挙げられます。
押し花にして手帳に挟んでいる、単純な私。
体だけでなく、心の痛みにも効くそうです。
最近、心の痛みについて書かれたコラムを読みました。
新潟日報朝刊で連載されている雨宮処凛さんのコラム、「生きづらさ」を生きる。
毎回ひと通り読んでいるのですが、9月26日の記事は残してあります。
人は本当に大変な時には、心を固く閉ざしてしまう
「ほっと一息」ついた瞬間、ずっと封印していた「心の傷」が噴出してしまうことが多い
我慢の渦中にいる時、人は自己防衛のために「こんなこと大したことじゃない」と自分に言い聞かせてしまう。だけど、そう言い聞かせなければならない時点で要注意だ。その時点で、相当の「大した」負荷が心にのしかかっているのだから。
少しほっとできた時、突然怒りや悲しみが襲ってきたら、それは「我慢の終わり」の証拠だ。
どんな場面で、何に傷つくか、傷の深さは、人それぞれ。
それぞれの傷、それぞれの痛み。
ずっと封印していると、その時の本当の想いだけでなく、「いまここ」の心も鈍くなってしまうような気がします。
自分が傷ついたことを感じることに鈍くなってしまう。
痛みや苦しみだけじゃなく、嬉しいことや楽しいことの感度も鈍くなる気がします。
今年、自分でも忘れていた(つもりの)本当の想いが甦ってきた経験がありました。
20年前のこと、10年前のこと…。
ふるっ。
ずっと皮膚の下で膿んでいた傷が、表に現れたようでした。
まだ完全に乾いていないけれど、かさぶたになった感じ。
自分が傷ついていたことに気付くのに、10年、20年かかるなんて…。
でも、膿が出たからか、かなりスッキリしました。
辛くても、傷ついたその時に、あるいは早いうちに手当てした方がいいんだと思います。
しかし、頼った相手によって、傷がより深くなることもあります。
怖いです。
自分を頼りにするのが、一番です。
頼りにできる自分を育てられるのも自分。
私は、今なら自分を受け容れられるのです。
だから、また古い傷が出てくるかもしれません。
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