使っているパソコンも同様ですが、わたし自身がアップデートできておりません。
ずっとボンヤリ生きております。
ボンヤリでもこうしていられるなんて、運の良さに感謝です。
しかし、アップデートできていないことで、いろいろと、なんとなくの不具合が出てきました。
いや、もう何十年もそういう状態のままで、“誤魔化しきれなくなった”というべきか。
つい最近、すごく分かりやすく、スーッと入ってくる文章に出合い、具体的な解決策が見えてきました。
コーチングの第一人者と云われている、伊藤守さんの本です。
今日の記事は、人生をこじらせている人間の書いた、普段よりメンドクサイ文章です。
それでも普段は基本的に、読みやすいように、考えて書いているつもりなのです。
きっかけは、『暮しの手帖』
『暮しの手帖』に、伊藤守さんの連載があります。
先日、喫茶店で、最新号のそのページを読んでいて、ふいに涙が込み上げました。
思わず、手帳に書き写してきました。
(お父さんとの会話でお父さんが)
「人生で、うれしかったことが3回ある」
…(中略)…
「もうひとつはな」
「お前が生まれたときだ」
父は、うれしそうに、そう言いました。
それは、心を打ちました。
“あぁ、わたしは、その言葉が欲しかったのだな”と気づきました。
文章そのままに、父にそう言ってもらいたいということでなく、“そのままでいい”と認めてもらうこと。
いや、自分自身で認めること、でしょうか。
ともかくも、このことで、もっと伊藤守さんの文章を読みたくなったのでした。
さっそくカーリルで調べると、地元の図書館には2冊ありました。
「コミュニケーションの未完了」を完了させる
フジモトマサルさんの挿画・装幀の『今の自分が本当のあなたです』は、サラサラと読み進められる本でした。
『こころの対話』は、主に文章なのですが、分かりやすく面白くて、一気に読みました。
付箋を残しながら読み終えた後、気になった文章を書き写したら腕が痛くなりました。
『こころの対話』には、“わたしたちは「聞かれない」し「聞いていない」”、そのことが問題の始まりだとありました。
自分と他者のコミュニケーションに「未完了」が生じると、「恐れ」が自分の中に蓄積されていくそうです。
そして、その「恐れ」から自分を自由にする方法が書かれていました。
あなたをコントロールする記憶や過去の体験からあなたを自由にする方法は、とてもシンプルです。ただ彼らを許すことです。心の中の仕返しをやめることです。
“え、わたし、心の中でずっと仕返ししていたのか”と、ちょっと怖くなりました。
忘れた、消去したつもりでも、残っていたのか…と。
伊藤さんが書いていた許し方は、こうです。
彼らの顔が浮かんだら、その人たちの人生がうまくいっているところを想像します。仕事の上でも、家庭でも、その人の人生がうまくいき、幸福に過ごしているところを想像するのです。ただ想像するだけです。
やってみました。
まず浮かんだのは、かなり強力な相手です。
具体的に想像しようとすると辛いくらいの相手なので、事務的に文字にしました。
思い出すだけ、名前を書いただけでも、指先がビリビリして、心臓の鼓動が速くなる感覚がありました。
書くだけで、眉間にシワが寄ってくるのです。
あぁ、やっぱり恨んでるんだ、と分かりました。体は正直ですね。
これで「許せた」のかは分かりませんが、胸のつかえは軽くなった気がします。
手放したいと言いつつも、知らず知らず強く握り続けていたものを手放した感じです。
自分の内側を見つめてみると、大小いくつかの引っ掛かりが見えました。
少しずつ、手放していけそうです。
伊藤さんの許し方には、さらに続きがあります。
それから、もうひとり。あなた自身を許しなさい。あなた自身の人生がすべてうまくいっているところを想像しなさい。
すべてうまくいっている人生って何だろう?という、こじらせっぷりですが、最近少しずつ見えてきた気がするんです。
まぁ、ゆっくり。
↓こちらは、文庫版でしょうか?
高橋和巳さんの著書にも助けられた
昨年、精神科医の高橋和巳さんの『消えたい:虐待された人の生き方から知る心の幸せ』に出合いました。
続けて、高橋和巳さんの著書2冊を購入。
読んでいて、人の強さ、優しさ、しなやかさに、希望を感じました。
自分の所有物となると、油断してしまい、こちらはまだ付箋を付けたままです。
伊藤さんの本を読んだ今、書き写しをすると、新たな気づきがあるかも。
楽しみです。
↓文庫版が出ていました。
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