アルネ小濁のことを考えていて、ふと「何もない」について思いました。
うちもそうだけど、山の中に住んでいると、
「何もないところ」と自分で言ったり、来た人も「何もない」と言ったりします。
この「何もない」って、なんだろう?
何が無いのか書きだそうと思ったけど、「便利なものが無い」くらいしか思いつかない私でした。
じゃあ、「有るもの」を探そうと、カメラを持って、長靴履いて、散歩。
木々の下に行くと、葉に当たって雨音が何重にも聴こえて、楽しい。
ただそこに在るものが有るっていうのがいいな、と訳分からんことを思ったりしました。
しかし、我ながら、説得力がない言葉しか出てきません。
私自身が「何もない」からのような気がします。
何か有るはずなんだけど。
コメント
コメント一覧 (13件)
ジローさんは、たくさんありすぎて、絞りきれないのでは?!
ジローさんのこの写真には、素晴らしい魅力が詰まっていますよ☆
光や、音や、風や、葉っぱの匂い・・・・
今日のテーマはとっても深い。
括弧付きの”何もない”なんじゃないかぬ?
「(余計なものが)何もない。」
「(他所にはあるものが)何もない。」
ひっくり返せば、
必要な分だけはある ってことだし、
ここにしかないものがある ってことかも。
>何か有るはずなんだけど。
あるあるあるある。ジローさんはあるったらある。
イチロー風に言うと「もってますねー」だよ。
ジローさんの人柄も含め、ジローさんの持ってる「何か」を、いつも戴いて、楽しく暮らすヒントにさせていただいてるんだもの!! (←きっと賛同者多し) その「何か」を私も巧く説明できなくてごめんね。
ところで、この写真とっても好き。
自分の求めているものや 相手が求めていそうなものがないと
・・何もない・・になるのかな?
ジローさんは なにかを見つけようとしてるから
何もないって感覚はないんじゃない?
何もない引き出しが いつも心にひとつくらいあえば
また何かを見つけてしまえるね。それが楽しいかも。
そふぃーさん、
りうのすけさん、
ひぐちさん、
コメントありがとうございます。
一般論で書いてたつもりが、最後の言葉で落ち込んでる風になっちゃったでしょうか。
ふと思いついて、書いちゃったんですよね。
きっかけは、「アルネ小濁」つながりで知ったなまいんちのコピー“「なんもない」がある。”
この「なんもない」って何だろう?
自分でも、何をもって「無い」って云ってんのかなぁとか色々思ったのです。
そうなの。
「何もない」ってことは無いんですよね。
見方を変えれば、全然違う。ひっくり返りもする。
全然、返信にもなってなくて、すみません。
悶々としている自分を自覚している時の方が、いいことに出会うことも多くて。
梅原真さんの著書『ニッポンの風景をつくりなおせ―― 一次産業×デザイン=風景』に巡りあいました。
Amazonでは時間が掛かりそうだったので、ほかでネット注文しました。
なにかあるか、なにもないかは受ける側次第ですかね。
なにか素敵なものがあっても、見つける気持ちというか受ける準備をしてないと気付かなくて、なにもないになっちゃう気がします。
見逃すなんで、もったいない!!
ジローさんのいろんな素敵なことを見逃さずに気づく力、尊敬してます
わたしもいつもジローさんからいろんなものを頂いてるひとりです♪
キエさん、
> なにかあるか、なにもないかは受ける側次第ですかね。
まさに、そうですね。
同じものを見ても、全然違うんだもんね。
「いろんな素敵なことを見逃さずに気づく力」、そんなの私にあるのかなぁ?
全く自覚無いんですけど。
でも、誰か面白いと共感する人がいるかもしれないから、共有しようという意識はあります。
ネットのお陰で、自称「人見知り」な私でも、共感する人と繋がれるのかもしれないですね。
なぁんだぁ、よかったぁ。はやとちってすまんす^^;
私もよく東京のひとに新潟の良さを説明する時使うわ、このフレーズ。「なんにもないとこだよーなんにもないからいいとこだよー」て。よく分かんないけど、住んでるもんにしか分からん良さはある! あるネ!
で、アルネの、なまいさんの「やえむさ再生物語」はわくわくするなぁ!
今日もいいblogを教えてくれてありがとうッス!
りうのすけさん、
なまいさんは、面識がある程度ですが、ねおかんの村越夫妻の話やブログによると、すごい行動力ですよね。
アルネ小濁の古民家ワークのリーダー、せんださんも面白いです。
雨に濡れたtsuru 写真いいですね!
シオデ、ウマズラフジ?
日本人の心(特に田舎)には、「自慢しない.控えめ」を美徳とするところが有る様に思います。
『何もない』は、まさにその代表的な言葉の表し方かと....
実は田舎ほど、自然.生活文化が深いものがあります。市街地の様な利便性に欠けるかもしれないが、日々の生活の中に、人々の心(知恵)にも
『何もある』のです。
その写真がまさに証明していると思います。
親方、
ツルの名前は、分かりません。
可愛い花が咲きます。
この日はISO1600でもこの程度なので、また足元がよくなったら、改めて花を確認しにいこうと思います。
そうですね、謙遜で「何もない」と言うこともあります。
そして、本当に「何もない」としか見えない人もいて、ビックリしたりもします。
色んなことが表裏一体だったりしますが、「ある」と「ない」も、ものすごく近いものなのかもしれません。
なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない
生まれた、生まれた、何が生まれた
星がひとつ、暗い宇宙に 生まれた
この歌を思い出しました。
「何もない」というフレーズが、こんなにも言葉を呼ぶこと自体が、
意味をあらわしているとも言えそうですね。
清々しさを感じます。
さっきの歌の続きを思い出したので、追伸
星には夜があり そして朝が訪れた
なんにもない 大地に ただ風が吹いてた 吹いてた
はじめ人間ギャートルズ
園山俊二作詞・かまやつひろし作曲「やつらの足音のバラード」)
頼さん、
ギャートルズの歌、ありがとうございます。
うーん、懐かしい!
「何もない」そしてそれに近い状態は、終わりのようでもあり、始まりのようでもあり。
終わりも始まりのようでもあり。
いつも通り、思いつきで書いた投稿だったのですが、皆さんにコメント頂き、ありがとうございます。
もやもやしたものがスッキリした感じです。
最後は、いつも「それでいいのだ」になってしまうのでした。